懐屋敏悟の徒然日記

懐かしいに触れたり訪ねたり…温故知新の世界へ

強者どもが夢の跡

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夏草や強者どもが夢の後


12月8日午後6時

不動産屋さんに鍵を引き渡しました。


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江東区森下

近所には、呉服屋さんがあったり


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大正から100年続く老舗の深川飯屋さんがあったり、まだまだ昔ながらのお店屋さんが頑張っている下町です。


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橋が多く、当に水の都です。

芭蕉庵の近くから暮れなずむ街を初めて見ました。今までその様な余裕はなかったですからね。


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萬年橋、4月4日から暫く、社長と一緒に車で早朝通勤していました。最後にこの橋を渡り直ぐに店に着きました。


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芭蕉通りに程近い所で営んでいた弁当屋。全ての片付けが終わりました。


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近所の神社の木々は、もうすぐ冬支度です。


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芭蕉通りの桜が満開だった頃、この店を引き継ぎました。今ではすっかり冬の空です。


つい1週間前は千秋楽前日で、手作り調理で卯の花やきんとんを作っていました。

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不思議と今となっては遠い昔に思えます。全ての備品と廃棄物の処理を終え、本当に何もない空間になったためでしょうか…

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昨夜で最後の出勤、供に頑張ってくれた副店長に感謝です。


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事務所に残るのは、粗大ゴミに出される机と電話があるのみ。このユニフォームとも今日でお別れです。万感の想いを馳せてという事も無く、ただ素直に全てをやり終えスッキリした気持ちです。素晴らしい課題を下さり、無事乗り越える事が出来ました。神様皆様ありがとうございました。






千秋楽

11月30日木曜日

今日が千秋楽、今日を最後にこの道から引退です。明日からは、暫し片付け作業に入り幕引きとなります。

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食材の発注は、単位も多く明らかに大量のデッドストックになるものは避けました。副店長がしっかり考えて守備に就いてくれました。本当に感謝です。その為、どうしてもお菜を自分で作る事が必要になります。二週間前の最終発注時に織り込み済でしたから、自分の考えで自分の手で手作り料理をしました。

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海鮮卯の花

あさり、イカ、エビ、タコ等に

人参、刻みさつま揚げ、牛蒡等を入れて約40人前作りました。


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さつまいものきんとん風林檎のせ(黄色い四角の皿に入っているお菜)

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近所のスーパーで買ったさつまいもを綺麗に洗い、

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アルミ箔で包み、90分くらい蒸し器で蒸し

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さつまいもの皮を剥き、時間の都合で裏ごし迄は出来ませんでしたがしっかり潰して甘味を少々加えました。本当は、もっと練り上げる方がイモクサさが抜けるのですが、午後の配達時間もありますのでご容赦を…

りんごダイスをのせて約40人前出来上がりです。

寒さが増すこれからの季節、急な冷え込みにお正月の様な凛とした空気を感じる日々、お客様お一人お一人が冬至を飛び越えて少しでも新年を明るく迎えて頂けたら嬉しいです。

お客様からは頂きものばかりで、そのお気持ちが嬉しいです。

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好きなもの一本持って行って〜

頂きま〜す


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社長は太るからお茶よ

はい、どうぞ

ありがとうございます🙇🏻


皆さまありがとうございました🙇🏻


さて、今日の配食の結びの一番は、おまけ。お菓子をお配りしました。最後までお話しに華が咲きます。お一人お一人いつまでもお元気でお過ごし下さい。

片付けも含め全てを終えた時、本当にやり切ったということになるのでしょう。その時、私は何を感じるのでしょうか。また、何を得るのでしょうか。楽しみです。

マダムの食事

昔は銀座で商売をしていたお客様

お会いした時は、気力と体力が途切れがちで、食生活も少々乱れがちでした。一人暮らしで気力もわかない状況に、追い討ちをかける様な酷暑、心配した包括支援センターのケアマネジャーさんが、当方に紹介して下さいました。区役所の支援も受けられるようになり、何とか規則的な食事の確保ができました。夏場は、気力もない日が続き、お部屋の中まで運んだり、ちょっとした片付けのお手伝いもさせていただきました。残暑の頃、マダム(お客様ご本人)から電話がありました。


マダム『いつも美味しいごはんありがとう。私、おかげでスリムになって来たわ。ナイスバディよ。』


唐揚げやフライなどの油物ばかりの食事から、さっぱりとした和食弁当になった事がマダムにとって良かったみたいです。


10月末に、11月末で閉店する旨のご案内を差し上げた時に、マダムからお言葉を頂きました。


マダム『閉店って、残念だわ。これでお別れなんて本当に寂しいわ。でも、貴方の次の仕事は心配しなくても大丈夫よ。貴方は、また会いたいわ…と思わせる人だから。いろんな人を観てきたけれど、貴方だったら大丈夫だからね。自分に自信持つのよ。お互いにこれから頑張りましょうね。』


餞の言葉を頂きました。本当に嬉しかったです。マダムの気力も少々回復してきて良かったです。しかし、悲しい事に、区役所は、少々元気に回復した状態と知った途端に11月30日迄で支援を打ち切りました。12月からの食事についてケアマネジャーさんも、八方手を尽くしましたが、従来同様の毎回調理した直後に届けてくれるお弁当の手配が難しい状況(区の補助がなければ全額自費で、一食当たり300円強プラスになってしまう。)で、手詰まりになっていました。

マダムに確認したところ、冷凍で一週間分まとめて届き、レンジで温めるスタイルは、嫌だとの事。配達中ではあったものの、時間をかける必要があると判断し、心当たりのある他社のお弁当屋さんや担当ケアマネジャーやご本人の間に入り、三方良しという結果になりました。とくにケアマネジャーさんの想いが残念ながらマダムに上手く伝わっていなかったので、両者を取り繋ぎ、お互いに良い関係に戻りました。自費負担で今迄よりも100円強プラスになってしまいますが、マダムが大丈夫な範囲だったので良かったです。20分強時間を使いましたが、マダムもケアマネジャーさんも安心して頂けたので良かったです。


ケアマネジャーさんからは、

『次、どちらに就職されるのか決まったら教えてくださいね。』

とのお声をいただきました。嬉しい限りです。

皆さんの『もうちょっと…』の想いに手を差し伸べる見守りサービス、最後までお届けします。

大女将

残る営業日もあと一週間程

派遣スタッフに任せていた一部の配達を、自分の仕事に戻してから約二ヵ月、お客様との直接対話する機会が増えました。

閉店が決まり、閉店のお知らせと他のお弁当屋さんのご案内、区の補助でご注文を頂いているお客様には、区指定の申請のご案内などを差し上げ、継続してお弁当注文を希望される方々が、確実に引き続きお食事を召し上がる事が出来るようにフォローさせて頂きました。

昔、御商売をされていた昭和一桁生まれの大女将のお客様からは、

『辞めてしまう日が近くなってきたし、お客様も減って来たら商売を早くたたみたいでしょうに』

と、今を案ずるお言葉をかけて下さり、有り難い気持ちになりました。


この大女将さんは、筋の通らない事には非常に厳しい方でした。

ある日、今は無断欠勤で辞めた配達アルバイトが、お届けするお弁当を間違え、再配達に伺った際に更に大女将さんに対して粗相がありました。アルバイトは、調子良く私の指示通りに仕事した報告をし仕事を終えました。アルバイトが帰った後、大女将様からご連絡を頂き、本人の報告とは違う事が発覚。空かさず、バイクを飛ばして大女将さんのお宅までお詫びに伺いました。


大女将『これくらいの事で謝りに来なくてもいいのに。』

私『いえいえ、商売ですから、儲けを頂戴する限りは、甘えられません。』


雇われの身とはいえ、お店を預かる限りは責任があるので些細なことでも真剣にならないとという想いから、自然とそんな言葉が胸から出てきました。


大女将『そうよね、解るわその気持ち。私も商売好きだからね。昔、商売やっていたから痛い程解るわよ社長。』

以来、こちらのお宅でも社長と呼ばれるようになりました。そして、後日…


大女将『社長とお兄ちゃん(副店長)が一生懸命やってくれるから主人の弁当も追加よろしくね。』


筋の通らない事には非常に厳しい大女将さんは、人情味溢れる方でもありました。


その様な大女将さんからの温かい一言、あと僅かな日々のお付き合いに

『早くたたみたいよね…』労いの言葉をかけて下さいました。

しかし、私は最後まで手を抜くことは考えられず、次の事を浮き足立って考えることもしたいと思いませんでした。日々の積み重ねの結果、それをやり遂げた時に得る結果、その結果を得て初めて次が見えて来ると信じて疑いません。この事は、千葉で無農薬の米を作った時に得た宝です。


社長という名の店長『今は、閉店までの日を一日一日しっかり働き、立つ鳥跡を濁さずの心境です。次の事は、考えられません。最後まで御指導よろしくお願いします。』


大女将『エライ!   社長、頑張ってよ。』


どの様な環境、どの様な境遇でも学ぶことは必ずある事をお客様が教えて下さいました。小さな事にも気付かないともったいないです。大女将さん、お付き合い下さり、また私達を厳しく温かく育てて下さりありがとうございました。

お金だけじゃない温かい気持ちの交換

買い物代行

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自宅で生活されるご高齢お客様の中には、お身体が不自由で、外に出て買い物をすることも難儀な方がおられます。

一般的には、介護保険制度を利用してヘルパーさんにお手伝い頂いたりするのですが、お手伝いできる範囲(介護保険制度に基づく支援計画で決められた曜日や時間数)が限られます。介護保険制度の範囲を飛び越えて、支援計画を見直すことは出来ず、100%ご本人のご希望に添えない場合もあります。ケアマネジャーさんもヘルパーさんも多くのご利用者を担当する中、一日中必死になって飛び回って下さっています。

ケアマネジャーさんも、ヘルパーさんも、もうちょっと…(ご本人のご希望に添う事が)出来たら…と思われる場面があります。

ご利用者様も、もうちょっと…(希望を叶えることが)出来たら…と思われる場面があります。

お互いに、もうちょっと…と思いながら出来ないところ、そこで私共の出番です。


ヘルパーさんが御利用者様のお宅に入れない日、私共がお弁当をお届けする事で、皆さんのもうちょっと…の想いの間を取り持つお手伝いができます。具体的には、お弁当のお届けに加えて、安否確認や買い物代行サービスの提供です。

支援計画に基づいて、御本人と御家族、そして生活支援に関わる人全てが話し合う担当者会議に参加させて頂く時、私共のサービスをご案内し、ご利用者のお弁当お届け日を決めます。

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買い物代行は、上記の様なちょっとした日用品です。


ある日の買い物代行…


配達中に電話が鳴る📱

(お客様、僕の中では女将さん)社長、◯◯のパンツで◯枚入り、今度のお弁当の日にお願いします。

(社長ということになっている店長)もうちょっと色々教えて下さ〜い。

(女将さん)袋に世界で一番!て書いてあるやつです。お願いします。


お届け前日、社長という名の店長は、近所のドラッグストアに買い物、若いお兄ちゃんの店員さんに、女将さんから聞いた情報をそのまま浴びてもらい、売り場まで誘導してもらう。店員さんも、もう精一杯だから解放してあげた。ここからは、女将さんの情報を思い出し、注意力と絞込み作業に入る。『世界で一番!』あった!これだ!


当日、女将さんのお宅にお届けし、太鼓判を頂いた。

(女将さん)あら、チップあげなきゃね。

(社長店長)大丈夫ですよ。

(女将さん)でも…それなら、お蜜柑持って行って。早稲だからお初で旬だからね。

(社長店長)ありがとうございます。(お初…旬…久しぶりに聞く言葉に内心感動😭)

(女将さん)あらあら、もっと持ってて初物だから。

(社長店長)喜んで、頂きます。(4個)


女将さんを始め、買い物代行をするとお客様との会話が確実に増えます。買い物代行をすると、不思議と温かい気持ちになりました。


以後、女将さん宅では、買い物代行、少量の洗濯物干し代行などにお応えし、お気持ちでお蜜柑4個を頂く事が定番になりました。何でもお金と交換するのではなく、ちょっとした気持ちのやり取りが、本当に懐かしく嬉しかった。

女将さんだけではなく、他のお宅でも少々のお手伝いを致しました。季節の変わり目に2階にお布団を上げたり、電子レンジの交換、ガスレンジの交換のお手伝いなどで、会話も増えました。

最終日まで、この気持ちも含めしっかりお届けします。


爺(jii)との想い出

4月5日、初めてお客様にお弁当をお届けしてから3日目、午前10時30分頃、公営住宅に長年お住まいの方のお宅に到着。お部屋までお届けに上がり、帰ろうとした時…

奥のベットのある部屋から、微かな声が

『おーい』…?

『おーい🔥』…oh‼️

慌てて引き返すと、


自分『どうしましたか?』


爺『ダメだろう🔥(配達の)時間が遅いよ🔥10時には届けてくれないと(困る)🔥お前、何年弁当屋やってるんだよ🔥』


自分『すみません😱(未だ)3日目です😅』


爺『ダメだろ〜う🔥トウシロウ(素人)じゃ』


この日お叱りの洗礼を受けてから、毎回ベッドの中から『おーい』とお声がかかり、叱られる。


2stage爺『弁当の置き場が違う🔥』


3stage爺『お前の店は(配達は)何人居るんだ?2人⁈🔥ダメだろ〜う🔥人を採らなきゃ』


4stage爺『割り箸持って来たか?ダメだろ〜う🔥ひと月分まとめて持って来ないと🔥』


5stage爺『(ベットから)起こせ。ダメだろ〜う🔥。もう少しゆっくりだよ。』


6stage爺から暫くヘルパーさんへの愚痴🔥


5月に入ってからは…

今年はなかなか気温が上がらず、ハッキリしない天気で肌寒い日が続いていた。爺の家でも灯油ストーブを焚く日がままあり、体調を崩さないで欲しいなぁと内心心配していた。爺は、口は悪いし怒りん坊だけど、どこか淋しがりやさんかな?と、勝手に思うようになり、不思議と気になる存在になっていた。


そして…

7stage爺…寒いのは気象庁がちゃんと天気を予報しないからとのことで、苦情を言った話🔥

8stage爺…時計を見ながら『まだ大丈夫だろ⁈』と、ふりかけを掛けながら弁当をその場で食べ10時15分解放🎃20分停車😅

余裕のある時は、爺の歴史の授業に遭うことも覚悟していた。しばしば爺のふりかけをかけながらの歴史授業が展開された。

[カリキュラム1]美濃部都知事時代に調理師免許を取ったことについて。単位認定は、お前も資格を取れ!という事に同意する事。

[カリキュラム2]下町の有名店、庶民派のグルメについて。単位認定は、一部しか知らなかった(これ本当)事を自ら認め、爺から『それくらい知らなきゃダメだろ〜う🔥』と、真ん丸な眼で鼻の穴を膨らませて笑ってもらう事。

[カリキュラム3]太平洋戦争の話し。

本当に有り難かった。心の底から有難うと思った。

深川生まれで根っからの江戸っ子の爺は、東京大空襲を経験した。赤い塊(焼夷弾)が次々と落ちて来て空襲を受け、焼野原になった。命からがら生き残った当時9歳の爺は、焼け跡を深川から上野まで裸足で歩いた。途中、焼け跡を低空で米国の機銃掃射に遭う。パイロットは笑いながら弾を撃って来た。橋という橋、川という川、何とも言えない臭い匂い(死臭)がし、焼け焦げた人でいっぱいだった。かなり生々しい話しだった。爺の顔が若干険しい顔になった。人が人を殺すことの恐ろしさ、殺される側だった爺から話しを聞くことが出来た。本当に、無益な殺し合いをするものではないと強く感じた。


[カリキュラム4]布団掛け。単位認定は、掛け布団の四隅をしっかりベット脇に仕舞う事。

爺は、『おーい🎵布団掛けてくれ…ませんか?』

爺は、掛け布団の四隅をベット脇に仕舞わないと不安になる様子。ご指摘通りに掛け布団の四隅をベッド脇に仕舞う。2回目からは要領を得る様になった。以後、爺のリクエストは、布団掛けになった。


[履修]爺は、甘えるように布団掛けをリクエスト。満足そうな顔で『あんたが一番だよ。有難う😊長生きはするもんじゃねぇぞ‼️』歯が一本もない歯茎丸出しの笑顔、不思議と可愛い満面の笑みを返してくれた。


その後、爺はだんだん弁当を食べなくなってしまった。冷蔵庫に弁当を入れておけとの指示に従った。ある日から、冷蔵庫の中で弁当が重なって行く様になった。食べていない様子だった。やがて、一点をやっとの思いで見つめる顔の爺になってしまった。


自分『ちゃんと食べるんだよ❗️』

爺『うん』


この会話の後、直感でヤバいと感じ、担当ケアマネジャーに、ひょっとすると旅立つ事も覚悟かもしれないと連絡した。

結局、これが爺との最後の会話になってしまった。

爺は、この後すぐ入院。入院3日後の5月23日に旅立ってしまった。


爺、いろいろお話し聞かせてくれてありがとう。僅か40日程のお付き合いでしたが、今でも時折、爺の事を思い出します。あの世でヤンチャしちゃダメだからね。








初めまして…春から半年が過ぎました。

10月1日

私がこの下町にお世話になって半年以上になります。


芭蕉通りの弁当屋


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下町のお店を、5月に個人オーナーから法人で引き継ぎました。

私も、4月から15年続けて来たキャリアカウンセラーの仕事から転職を決意し、5月から店長として頑張っています。

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私自身も食べる事は大好きで、今は亡き大正生まれの祖母が作ってくれた雪花菜や金平牛蒡、ムツの煮付けなどの家庭料理で育ちました。また、母が作ってくれたハンバーグやスパゲティなどの洋食も好きです。


さて、今の仕事について書きます。

お客様は、65歳以上のご高齢の方が大半です。中には太平洋戦争を経験され、兵隊さんとしてご苦労されたご記憶、下町で東京大空襲の生々しいご記憶を話して下さる方々もおられます。大正や昭和一桁生まれの方が元気でおられ、元気を支えるお食事をお届けし、少しでもお役に立つことが出来、本当に嬉しくなります。12年前に旅立った私の祖母も同世代です。お客様という関係ではあるものの、どことなく懐かしい気持ちになり、時折目頭が熱くなります。

会話の呼吸、自分の気持ちを表現する時に選ぶ言葉、今はすっかり使われなくなった豊かな言葉に触れる事が出来、私がそのお客様から幸せや元気のお裾分けを頂いております。

しかし、あくまでもお弁当屋という商売です。儲けが無ければ続きません。霞を食って生きてはいけない現実と直面し、会社の判断で11月30日をもって閉店ということになってしまいました。当たり前ですが、最後まで気を抜かず立つ鳥跡を濁さずでやり切る事を決め、残された日を一日一日大切に過ごしています。この仕事に就いた時から、副店長をはじめ、スタッフに伝えていた大事な言葉があります。

『日々の積み重ね』

千葉で自給自足米を作っていた時に、茨城の農家さんから教わった言葉です。特に、閉店を控えた今、改めてこの言葉を噛み締めながら毎日を過ごしています。