爺(jii)との想い出
4月5日、初めてお客様にお弁当をお届けしてから3日目、午前10時30分頃、公営住宅に長年お住まいの方のお宅に到着。お部屋までお届けに上がり、帰ろうとした時…
奥のベットのある部屋から、微かな声が
『おーい』…?
『おーい🔥』…oh‼️
慌てて引き返すと、
自分『どうしましたか?』
爺『ダメだろう🔥(配達の)時間が遅いよ🔥10時には届けてくれないと(困る)🔥お前、何年弁当屋やってるんだよ🔥』
自分『すみません😱(未だ)3日目です😅』
爺『ダメだろ〜う🔥トウシロウ(素人)じゃ』
この日お叱りの洗礼を受けてから、毎回ベッドの中から『おーい』とお声がかかり、叱られる。
2stage爺『弁当の置き場が違う🔥』
3stage爺『お前の店は(配達は)何人居るんだ?2人⁈🔥ダメだろ〜う🔥人を採らなきゃ』
4stage爺『割り箸持って来たか?ダメだろ〜う🔥ひと月分まとめて持って来ないと🔥』
5stage爺『(ベットから)起こせ。ダメだろ〜う🔥。もう少しゆっくりだよ。』
6stage爺から暫くヘルパーさんへの愚痴🔥
5月に入ってからは…
今年はなかなか気温が上がらず、ハッキリしない天気で肌寒い日が続いていた。爺の家でも灯油ストーブを焚く日がままあり、体調を崩さないで欲しいなぁと内心心配していた。爺は、口は悪いし怒りん坊だけど、どこか淋しがりやさんかな?と、勝手に思うようになり、不思議と気になる存在になっていた。
そして…
7stage爺…寒いのは気象庁がちゃんと天気を予報しないからとのことで、苦情を言った話🔥
8stage爺…時計を見ながら『まだ大丈夫だろ⁈』と、ふりかけを掛けながら弁当をその場で食べ10時15分解放🎃20分停車😅
余裕のある時は、爺の歴史の授業に遭うことも覚悟していた。しばしば爺のふりかけをかけながらの歴史授業が展開された。
[カリキュラム1]美濃部都知事時代に調理師免許を取ったことについて。単位認定は、お前も資格を取れ!という事に同意する事。
[カリキュラム2]下町の有名店、庶民派のグルメについて。単位認定は、一部しか知らなかった(これ本当)事を自ら認め、爺から『それくらい知らなきゃダメだろ〜う🔥』と、真ん丸な眼で鼻の穴を膨らませて笑ってもらう事。
[カリキュラム3]太平洋戦争の話し。
本当に有り難かった。心の底から有難うと思った。
深川生まれで根っからの江戸っ子の爺は、東京大空襲を経験した。赤い塊(焼夷弾)が次々と落ちて来て空襲を受け、焼野原になった。命からがら生き残った当時9歳の爺は、焼け跡を深川から上野まで裸足で歩いた。途中、焼け跡を低空で米国の機銃掃射に遭う。パイロットは笑いながら弾を撃って来た。橋という橋、川という川、何とも言えない臭い匂い(死臭)がし、焼け焦げた人でいっぱいだった。かなり生々しい話しだった。爺の顔が若干険しい顔になった。人が人を殺すことの恐ろしさ、殺される側だった爺から話しを聞くことが出来た。本当に、無益な殺し合いをするものではないと強く感じた。
[カリキュラム4]布団掛け。単位認定は、掛け布団の四隅をしっかりベット脇に仕舞う事。
爺は、『おーい🎵布団掛けてくれ…ませんか?』
爺は、掛け布団の四隅をベット脇に仕舞わないと不安になる様子。ご指摘通りに掛け布団の四隅をベッド脇に仕舞う。2回目からは要領を得る様になった。以後、爺のリクエストは、布団掛けになった。
[履修]爺は、甘えるように布団掛けをリクエスト。満足そうな顔で『あんたが一番だよ。有難う😊長生きはするもんじゃねぇぞ‼️』歯が一本もない歯茎丸出しの笑顔、不思議と可愛い満面の笑みを返してくれた。
その後、爺はだんだん弁当を食べなくなってしまった。冷蔵庫に弁当を入れておけとの指示に従った。ある日から、冷蔵庫の中で弁当が重なって行く様になった。食べていない様子だった。やがて、一点をやっとの思いで見つめる顔の爺になってしまった。
自分『ちゃんと食べるんだよ❗️』
爺『うん』
この会話の後、直感でヤバいと感じ、担当ケアマネジャーに、ひょっとすると旅立つ事も覚悟かもしれないと連絡した。
結局、これが爺との最後の会話になってしまった。
爺は、この後すぐ入院。入院3日後の5月23日に旅立ってしまった。
爺、いろいろお話し聞かせてくれてありがとう。僅か40日程のお付き合いでしたが、今でも時折、爺の事を思い出します。あの世でヤンチャしちゃダメだからね。
初めまして…春から半年が過ぎました。
10月1日
私がこの下町にお世話になって半年以上になります。
芭蕉通りの弁当屋
下町のお店を、5月に個人オーナーから法人で引き継ぎました。
私も、4月から15年続けて来たキャリアカウンセラーの仕事から転職を決意し、5月から店長として頑張っています。
私自身も食べる事は大好きで、今は亡き大正生まれの祖母が作ってくれた雪花菜や金平牛蒡、ムツの煮付けなどの家庭料理で育ちました。また、母が作ってくれたハンバーグやスパゲティなどの洋食も好きです。
さて、今の仕事について書きます。
お客様は、65歳以上のご高齢の方が大半です。中には太平洋戦争を経験され、兵隊さんとしてご苦労されたご記憶、下町で東京大空襲の生々しいご記憶を話して下さる方々もおられます。大正や昭和一桁生まれの方が元気でおられ、元気を支えるお食事をお届けし、少しでもお役に立つことが出来、本当に嬉しくなります。12年前に旅立った私の祖母も同世代です。お客様という関係ではあるものの、どことなく懐かしい気持ちになり、時折目頭が熱くなります。
会話の呼吸、自分の気持ちを表現する時に選ぶ言葉、今はすっかり使われなくなった豊かな言葉に触れる事が出来、私がそのお客様から幸せや元気のお裾分けを頂いております。
しかし、あくまでもお弁当屋という商売です。儲けが無ければ続きません。霞を食って生きてはいけない現実と直面し、会社の判断で11月30日をもって閉店ということになってしまいました。当たり前ですが、最後まで気を抜かず立つ鳥跡を濁さずでやり切る事を決め、残された日を一日一日大切に過ごしています。この仕事に就いた時から、副店長をはじめ、スタッフに伝えていた大事な言葉があります。
『日々の積み重ね』
千葉で自給自足米を作っていた時に、茨城の農家さんから教わった言葉です。特に、閉店を控えた今、改めてこの言葉を噛み締めながら毎日を過ごしています。